昭和54年2月9日 朝の御理解 ⑨


御理解第七節を頂きます。(鼻をかまれる)
 御理解第七節
「天地金乃神は昔からある神ぞ。途中から出来た神でなし。天地は流行ることなし、流行ることなければ終わりもなし。天地日月の心になること肝要なり。信心はせぬでもおかげはやってある。」

⑨え~もう、金光様の御信心を頂いて、えぇ、その修行の、をぉ、焦点、修行の中心になるのはこのみ教えだと私は思うんですけども、「ああこのみ教えだ」と皆がまず分からしてもろうて、その、天地日月の心にいよいよ、をぉ、分からしてもらい、広く深く、そのことを、を、自分の信心修行の焦点にしなければならないということ、もうこれは合楽の方達は、今私が申しましたことは充分分かっておられることだとこう思うんです。ね。
 昨日私、え~夜中に、ちょっと小便に立たせて頂きましたら、こちらの方で、なんかノコギリで、ガンキコンこう引きよる音がしますもん夜中に、それから出て来ましたら、まだ電気が明々と点いて、あの若先生の手前の子供部屋にしとったところを、今度改装してから、そして、あの、え~、総子が今度から小学校にまいりますから、まあ、勉強部屋と言うでしょうか、子供部屋を、作ると言うので、昼言いよりました、それでえぇ、吉田先生を中心に、えぇ、永瀬先生、それから中村徹美先生、えぇ皆その~、昨日の朝の9時から始めたんだそうですけども、昨日丁度1時過ぎまで掛かって、そしてだいたいもう出来終わったから、こうドアを閉めようとしたところが、今度あれジュウタンをずーっと敷きましたもんですから、ドアが開かない、それでドアば切りより音じゃったんです、こうけんっ(笑)、どうして今頃こげな事するじゃろかと思うてですね、そしてその、まあ一生懸命昨日は、高芝さんのところのあの、森明君も一緒、あの、お手伝いして頂いて、まあ綺麗に、あの、全部壁を張って、それからジュウタンを敷き詰めて、もう天井からもうどこもここもが、まあ見違えるようにまあなりましたわけですけども、私そこでその、皆さんとの、まあ、やってるのを見せて頂いてから、若先生と話したことでした、「ああ、どうかね例えば吉田先生あたりが、もうそれこそ、何ちか、え~、生き生きとしてね、もうもうとにかく生き生きとして、もう、う~、もう十二時間以上やってるわけですよねずっと、それでいて疲れをも、見せんような様子でやっておる、とにかく自分の特技な事、または好きな事は、あんなにして生き生きやれるんだよ」という話をしたことでした。ね。そしてなら今日のこの御理解を頂いて、金光様の御信心、いやここで信心の修行をしておる人は、もうこれに極まったと、天地日月の心になること肝要だと、もうしかもここでは天の心だ地の心だ、という風に、もう色々、あの、もう説っ、ここんところが説き開かされておって、もうこれを自分の身に付けて行く以外にはないんだと、いうわけです。だからそういう信心がです、私は昨日なら、その吉田先生あたりがやっておる、それこそ、おぉ、10何時間ぶっ通しに、その、をぉ、やっておって、「ああ疲れた」という、もうその、1時にもなろうかと言うのに、なしにその、もう生き生きとしてやっておるその姿を見てからです、信心もこのくらいに、自分が特技なものになってくる、好きな事になってくる、そして、その、おぉ、天地日月の心になることに肝要だと言われる、まあ本当おかげば頂かんならんからやっとかっとお参りしよる、おかげば頂かんならんけん守らんならんといったようなね、誰も、まら吉田先生がああやって、なら、あ~べつっ、特別の、おぉその、を、これをしたなら幾ら儲かるといったようなこともないことをですよね、言うならば、ね、結局だから信心が特異にならなきゃいけない、好きにならなきゃいけない、ね、そこでです、私はお参りしよらすけんなるというようなことじゃないです、お参りしよりゃおかげは頂く、けれども好きになるとか、もう信心が特異ということは、私はこういう修行に本気で取り組むことが有り難いと分からしてもらわなきゃならん、ね。
 どんな場合であっても、どんな心の中に、一つの、をぉ、悩みとか苦しみがあっても、御理解を頂いて、ピリッとこう頂いたら、もう、「はぁもうそれ以外ないですなぁ」といったようなものが、心耳詰めると天地日月の心を説くわけです。ね。ですから、その~、心がスキッとして次の信心に、こう進んで行く、飛躍して行く、というおかげを頂くために、私は何と言ってもですね、結局信心の調子が出てこなければダメだということ、ね、信心の調子が出てくるということは、ね、やはり苦しいけれどもそこんところを修行さして頂いておる内にです、自分の信心の調子と、言うならば、天地日月が示して下さる調子とが合うようになる、ね、今日も1日そういう天地にリズムに乗っての1日であったなぁと、というところにです、私はその生き生きとした1日を過ごさして頂くことが出け、1日をいよいよ生き生きとした、あぁ、おかげを言わばリズムに乗った1日を有り難く楽しく愉快にやっていけれる、ね、これを進めて行けば良い、いよいよ信心は有り難いものになる、いわゆる好きなものになる、特異なものになってくる、ね、だからどうでもそこに一つのリズムを、見出さなければならない、聞き取られれる心耳を頂かなければならない、心の耳を頂かなければならん。
 今皆、え~、御本部の学院に行っております、先生方が皆今、あぁ地方の、まあ色んな教会に、皆行っております、それで、えぇ昨日、ん、梅山さんから、向こうの教会に着いたからという手紙がまいりました。ね。「神様の万事万端にお都合お繰り合わせを頂いて、こちらでの修行が、いよいよリズムに乗って出けそうです。」ということが書いてあった、ね、ちょっと読んでみましょう。
 『親先生日々の御神勤、御奉仕有り難うございます。今五日午後7時21分です。在籍の、在籍外教会の、栗原教会にて、筆を取らせて頂いております。本日朝学院を8時25分に出発しまして、9時8分金光発の列車で、列車に乗りまして、えぇ、尾道の、尾道に9時48分に到着しまして、バスに乗り、えぇ、15分ほどで教えて頂いたバス停で下りましたところ、をぉ、えぇ、そこにありましたのは天地教でした』まあ天地教という、まあ宗教があるとでしょうね。
『天地教でした。通りかかりの人に道を尋ねたところ、丁寧に教えて頂いて教会に着いたのは10時20分で丁度御祈念の最中で、えぇ、ありました。また、あぁ歩いて、ん~、おる間は、天気は良かったのですが、教会で御祈念後お届け御挨拶申し上げましたところが、雨が降り、降り出しまして、最初の御用が、教旗のこうの、』いわゆる教旗を下ろすことを、ね、言われたんでしょうね。
『でした、その後奥様と学院での事、在籍外教会実習を、を、過ごすこと、それについてお話をして下さいました。午後からは雨が雪に変わりまして、現在道はほんのりと雪化粧をしております。2番の御用は町内の会合に出席なさっております親先生に傘を持って、公民館までお出迎えでした、この日親先生は、学院へ、家政科講師として出向いておられ、午後に、会合へと出席しておったわけです。ところが親先生が学院より頼まれまして、私に来ていた手紙を託っておりました。家内から来た物で私達が出発した後に学院に届けられたのでした。私が日和佐へ行っておればこの手紙は受け取る事は出来なかったのです。』ここんところは、日和佐という教会に行く事になっとたのが、あちらのその先生が病気をされたために、断られたわけです、それで新たなここの尾道の、あの、なんとかという教会にまいったわけです。丁度そこの先生は学院になんか御用で行かれたら、丁度その梅山さんところの家内から手紙が来とった、それでその手紙を託ってきたと、それで、えぇこれ、日和佐であったら、その手紙を入手することは出来なかった、問題はその、手紙がね、手紙の内容が、これはここの先生にも御見せしなければいけないということで、御見せすることになったことになるわけなんです。これからがね。
『日和佐に行っておればこの手紙は受け取る事は出来なかったものです。この手紙は親先生にも読んでもらうべきと思いましたので、目を通して頂きました。そのことに大変お喜びになられました。合楽が、合楽でなくては通用しないことを書いておりました。黙契になり得ず、(とまたは、土の信心とか)、どういうことですかと説明を求められました、思わぬところで合楽をPRしなくてはならなくなりました。栗原教会に御神縁を頂きましたことが神様の深い深いおぼし召し、ね、と思わざるを得ません午後八時の御祈念を頂きまして、えぇ、親先生がお下がりになり・・』えぇ、と、何だかかこれ、お風呂か、『お風呂に入りましたので、午後九時二十分、御結界を奥様と交替されました。十時前五分に、親先生が上がってこられ、お風呂を進めて下さいまして、風呂を頂き、部屋に来たところです。申し送れましたが、ご家族は、おばあちゃん、親先生ご夫妻、それに高校一年の女の子を頭に、中学二年、小学三年の女の子ばっかりの六人です。お広前は三十畳ぐらいで、えぇ、ジュウタンが敷き詰めてあります。ご神前は七畳半です。その他○少会館、それに二十畳ぐらい印刷室などがあり、私の部屋は十畳の茶室、』茶の間と言うんでしょうね、『茶の間をかねた客殿といったところです。勿体無いと思っています。一輪挿しは、勾配と小さな花瓶に、百円玉ぐらいの』と書いてある、『が、一個で四つほど生けてあります。えぇ、和やかな教会で、えぇ、お家の方も明るい方々です、それから親先生の大阪講演のテープと、んん、質疑応答のテープを欲しいとの事ですので、もし送り頂ければ幸いです。和賀心時代を世界にと、合楽理念の実証者とならせて下さい。それからこちらの親先生と、お話をさして頂いて、座布団を片付けておりましたら、その私の座布団の下に、小さな、和紙に「信心の後継を」と書いたものがありました。それより来月の信心目標としたものです。目前に企画委員会が決めたもの、と書いて、ということです。毎日毎日、』え~何かね、え~、掃除かな、『して、おったのに、どうしてそれが、ということでした。神様の、リズムに乗らせての実習になりそうです。有り難く、便乗させて頂きます』とあります。私が目が悪いからスラスラ読めませんけれども、この中に、いぃ、もう出発から、こちらへまいりましてからの、もう天候のことから色んな事情がようと、万乍らに、神乍らにおくり合わせを頂いておる、いよいよこちらでの修行も、言わばリズムに乗った、あぁ修行が出けそうですと、初日に感じておる訳ですね、同時に、あの、ささやかでも合楽理念の、をぉ、言うならば、合楽示現活動をさせて頂きたいと思うておりましたら、言うなら家内の、おぉ、手紙と、それから自分がこの教会に来たおかげで、この手紙を入手して、それをあの教会の先生にお見せすることが出けて、合楽に色々感心を持っておられる先生らしいので、えぇ、色々説明を求められて、説明をしておる、ね。もうそれを、例えば、あぁ、前に決まっておった教会であったら、こういうことにもならなかったろうにという、もうそういうところから神様の働きというものをずーっと感じておる、ね、本当、あぁ、教会に着かせて頂いたらお湿りがあり出したとかね、まあその所々にそういう神様の働きの一分一厘間違いのないことだなぁという働きの中に、あっておるから、私は、その信心修行がもう生き生きとして楽しむのになってくると思うんです、ね。
 天地日月の心になること肝要だと、なら焦点はここにおく、しかも天地日月の心になることということが絶対の道であり、ね、ありがっ、必ずおかげの頂けれる道であるということを確信さしてもらう、この御理解にもう極まったのですから、なら、この御理解はです、私共が頂くという、それにはね、そういう調子を見出さなければ、これを楽しゅう出けない、いわゆる生き生きと出けないということなんです。ね。それがもう日々そういう生き生きとした、天地の親神様の、をぉ、お働きの中に、しかも一分一厘間違いのない働きだなぁと感じながらの稽古さして頂くならばです、それこそ昨夜、吉田さんの、一日のあの作業ぶり御用ぶりというものを見せて頂いてです、もうそれこそ生き生きとして、もうそれこそ楽しいようにして、その事の御用が出けておるように、信心生活もそういうものでなからなければならない。梅山さんの今のこの手紙の中からです、ね、いわゆる、もう行っていった初実に、いよいよリズムに乗った、ね、修行が出ける、その修行の中に、合楽示現活動もまた出けれる、よっ、ようだという風に思わしてもらうところに、またその明くる日が楽しいものになってくるんです、ね、そういう信心を一つまず身に付けて、自分の信心が生き生きとリズムに乗っての朝参りであり、信心生活であり、ということにならなきゃならんということです。
                                   どうぞ。




                           入力者:秋山誠輝